上場企業の経営ボードを降りて、カンボジアで起業した理由。公認会計士が17年かけて辿り着いた答え
カンボジアビジネスサポート(CBS)代表・髙虎男のインタビュー。監査法人トーマツ(Deloitte)、ドリームインキュベータ執行役員を経て、2008年にカンボジアで起業。230ヘクタールの農地での米作りからマイクロファイナンスの設立まで、17年間で複数事業を経験した。コンサルタントではなく、自ら落とし穴を踏んできた事業家が、カンボジア進出支援に携わる理由を語る。
ドリームインキュベータの執行役員だった頃、私はマレーシアの会議室にいた。日本の大手企業が現地政府と組んで「街」をつくる。そんな大型案件の交渉の最前線に、ほぼ2年間立ち続けていた。
相手は、私を単なるコンサルタントではなく、日本側の意思決定に近い人間として見ていた。だからこそ、日本側が最終的に見送る判断をしたとき、その結論を伝えに行く役目も私だった。相手の期待を知っているぶん、あの場で頭を下げるのは重かった。
そのとき痛感した。どれだけ深く関わっても、最後にリスクを取るのが自分でなければ、本当の意味で事業を動かしているとは言えない。クライアントの予算で面白いことをしても、最終判断は他人の手にある。コンサルタントという仕事の限界を、私はその瞬間に思い知らされた。
その後、私はカンボジアに渡り、自分の資金で事業を始めた。早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業後、監査法人トーマツで監査やM&Aに携わり、ドリームインキュベータでは創業期から事業づくりと投資の現場にいた。振り返れば、恵まれたキャリアだったと思う。それでも最後に選んだのは、肩書きではなく、自分で判断し、自分で責任を負う立場だった。
公認会計士を選んだのは、きれいな志望動機があったからではない
私は英検1級を持ち、日常会話からビジネスの現場まで英語で対応してきた。ただ、それだけで差別化できるほど甘くないとも感じていた。英語だけでは食べていけない。そう考えたとき、もう一つ軸になる専門性が必要だと思った。
そこで選んだのが公認会計士だった。数字の言語は国をまたいでも通用しやすい。さらに、英語と組み合わせれば独自の立ち位置をつくれるかもしれない。華やかな志望動機ではない。かなり現実的な判断だった。
結果として、この選択は大きかった。日本の公認会計士資格を取り、後に米国ワシントン州CPAにも合格した。会計と英語を組み合わせたことで、アジアの実務に入っていく準備が整った。
監査から戦略へ移ったのは、意思決定そのものに関わりたかったからだ
監査の仕事は面白かった。企業の数字を深く見られるし、表からは見えない経営の癖も分かる。ただ、どれだけ案件を見ても、最後の「なぜこの取引先なのか」「なぜこの事業に投資するのか」という意思決定そのものには踏み込めない。その物足りなさは、ずっと残っていた。
もっと経営判断の近くで仕事をしたい。そう考えて、私は戦略コンサルティングの世界に移った。転職活動ではBCGの面接も受けたが、ケース面接で何も答えられず落ちた。今なら笑い話だが、当時はかなり堪えた。事前準備が必要だということすら、よく分かっていなかった。
その頃に出会ったのが、創業期のドリームインキュベータだった。後年のドリームインキュベータの公式沿革を見ると、2000年設立、2002年東証マザーズ上場、2005年東証一部上場という流れが確認できる。私が入ったのは、まさにその立ち上がりの熱量が強い時期だった。私はそこで、事業づくりと投資の両方に深く関わることになった。
コンサルの限界を決定的に感じた、二つの出来事
転機になったのは、冒頭のマレーシア案件だけではない。もう一つ、社内でベトナム投資ファンドを提案し、投資先が短期間で上場した経験があった。事業としての筋も悪くなかった。だが、エグジットの意思決定が噛み合わず、最も良いタイミングを逃した。
ここでも同じことを思った。クライアントの案件でも、勤め先の投資でも、最後のボタンを押すのが自分でなければ、自分の意思で事業をつくっているとは言い切れない。
私はコンサルティングという仕事を否定しているわけではない。むしろ、その経験があったから今がある。ただ、自分には「助言する立場」だけでは足りなかった。自分で決めて、自分で失敗し、その結果まで引き受ける立場に行かなければ、腹落ちしなかったのである。
なぜカンボジアだったのか
最初のきっかけは、ベトナムに関わっていた頃に耳にした話だった。ホーチミンで稼いだ人たちが、次の投資先としてカンボジアに向かっている。そんな話を何度も聞いた。
当時の私にとって、カンボジアの印象は正直かなり古かった。ポル・ポト、地雷、内戦、ボランティア。1990年代に見た報道のイメージが、そのまま残っていた。
だからこそ、実際に現地に行ったときのギャップは大きかった。道路や建物だけではない。私が強く反応したのは、実務の通貨環境だった。国際通貨基金(IMF)のワーキングペーパーでは、カンボジアを「アジアで最もドル化の進んだ経済」と位置づけている。
“Over the past decade, Cambodia has become Asia’s most dollarized economy.”
日本語訳:「この10年で、カンボジアはアジアで最もドル化の進んだ経済になった。」
新興国で事業をするとき、通貨の扱いは想像以上に重い。ベトナムでは、現地通貨で回した利益をドルに戻す難しさを身をもって経験した。だからこそ、カンボジアの実務環境は私には非常に合理的に映った。日本で持たれがちなイメージと、現地で見える現実。その落差が、この国で自分の事業を始める大きな動機になった。
その後、私はカンボジアでJC Groupを立ち上げ、農業、IT、物流、投資など、さまざまな事業に関わることになる。
カンボジアで事業を始めて分かったのは、きれいな成功談では済まないということだ
最初の数年は、決して一直線ではなかった。日本の技術や仕組みを、カンボジアで事業として成立させる。そのための基盤をつくりたいと考え、いろいろな可能性を探った。
途中からは農業分野に軸足を移し、コメの生産や輸出にも取り組んだ。しかし、実際にやってみると、外から見ていた事業性と、現場で積み上がる採算はまったく別の話だった。
その後は、単に作る側ではなく、農家を支えるプラットフォーム型の構想へ移った。農機、資材、金融、販路といった周辺機能をまとめて支える形だ。うまくいったこともあるし、手放した事業もある。会社を閉じたこともある。落とし穴に落ち、はい上がり、また別の落とし穴にはまる。その繰り返しだった。
だが、振り返ると、この遠回りが今の強みになっている。カンボジアで事業をするとき、どこで止まりやすいのか。契約か、人か、制度か、資金繰りか。そうした落とし穴を、頭ではなく体で知っている。この差は大きい。
進出支援を始めたのは、サービスを売りたかったからではない
もともと私は、進出支援を前面に出して仕事をするつもりはなかった。コンサルの限界を感じて、自分で事業をやる側に来たのだから、また助言業に戻るつもりはなかったからだ。
それでも、カンボジアに進出したいという相談は徐々に増えた。紹介で会った人の話を聞くと、自分が過去に落ちた穴へ、そのまま向かっているケースが少なくない。登記まではできても、その後の運営で止まる。制度は理解していても、交渉や実務の詰めで崩れる。そういう場面を、私は何度も見てきた。
結果として、進出支援は営業で作った事業ではなく、現場で積み上がった経験の延長線上で形になっていった。私は、誰にでも同じメニューを売る支援をしたいわけではない。本気で現地に向き合うつもりがあるなら、過去の失敗も含めて役に立つ話ができる。今やっているのは、そういう仕事である。
私が提供できるのは、制度の説明ではなく、現地で事業を動かすための判断材料である
日本の公認会計士として数字を見てきた視点、戦略コンサルとして経営判断の近くにいた経験、そしてカンボジアで自分の資金を入れて事業をつくってきた実務。この三つを一人の中で持っていることに意味があると思っている。
登記だけ整えて終わる。資料だけ渡して終わる。そういう支援では、現地では足りないことが多い。制度は分かっていても、運用で詰まる。数字は合っていても、相手との交渉で崩れる。書類は正しくても、現場で回らない。海外進出は、そういうズレの連続だからだ。
だから私は、きれいな成功談よりも、どこで危ないのか、どこで止まるのかを先に伝える。海外進出支援で本当に見るべきなのは、制度を知っているかどうかだけではない。その進出先の現地で、自分で判断し、自分で資金を入れ、自分で失敗まで引き受けてきたかどうかである。カンボジア進出を現実の事業として進めるなら、その差が結果を分ける。
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